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まだまだ真夏の昼下がり。日本のこの時期には特有の、湿気も多くて妙に力強い圧のある、そんな熱気が立ち込めた、所謂“炎天下”の戸外に長くいたからか、それとも。どうかすると地球の裏側くらい遠い欧州から、長時間&長距離移動をして来た“無理”が今頃になって出たものか。
「…大丈夫? サンジ。」
そうまで強引にやって来た機動力の大元、せっかく逢えた愛しい人が、すぐ傍らにいるっていうのに。ろくなご挨拶も交わせないまま、息も絶え絶えという力の無さにて。車のシートに身を埋めている。もともとから色白な頬だが、表情が乗らないお顔は何とも痛々しくって。やはり相当に疲れたか、それとも何かしらあったからなのか、たいそう力なく青ざめており。
「疲れがどっと出ちゃったんだね。」
この時期の彼のスケジュールくらいは知っている。ここ何日も、バカンスシーズンに入る前にっていう駆け込みのお仕事が一杯あったんでしょう? いくら居ながらでこなせる依頼でも、山ほどの数を夜中までとか掛かり切りで処理してたんじゃないの? それで、疲れやすくなってたんじゃないの?
「そこへ加えての無理なんかしたから…。」
自分よりも上背はある相手だけれど、同じシートに座ってしまうとその差も縮まるし、その上に。いつもなら、その痩躯が一回り大きく見えるほどにも、自信満々で胸を張ってる同じ人が、今は…くったり力なく、体を萎えさせ、こちらへと凭れかかって来ているほどで。小さなルフィの肩口へそのお顔を載せられるほどだなんて、これは相当に参っている彼だってことに違いなく。もう大丈夫だからね、お家に着いたらすぐにも休もうねと、懸命に腕を伸ばして、丸くなってる相手の背中を撫でてやりながら、まるで母親のように柔らかな声で囁き続けてるルフィであり。
「……………。」
あんな電話の先触れがあった後だっただけに、ちょっぴり肩に力が入っていたのもどこへやら。どんな波風が立つものかと危惧した種の波乱はなかったけれど、それとは思い切り真逆、病人をいたわるような態勢になってしまったがために。運転席のゾロもまた、どこか神妙に黙ったままでおり。時折、バックミラーにて後部座席の様子を伺い見ているくらい。手際のいい運転でくぐり抜けたは緑の天蓋。涼やかな風景の中、さして時間もかける事なく、車はこちらでの彼らの逗留先、緑の中に埋もれるように建っている、可愛らしくも瀟洒な別荘へと辿り着いたのであった。
◇
旦那様は有名な某商社の企画部に籍を置く、働き盛りの出世がしら。なかなかまとまった休みが取れないところだったものが、お盆を前に10日ほどもの連休がいただけたので、せっかくのお休み、閑静な保養地にある別荘で羽を伸ばそうなんてなバカンスを堪能することになった若夫婦。なのに、奥方への家事負担の軽減というところを全く考慮してやってない“休暇”らしいと判ったがため、文句を言ってやるつもり、勇んでやって来たものが、何だかよく判らない現象に、着いて早々に遭遇してしまい。本来逢いに来た相手に見つけてもらえたものの、何だか既にぐったり疲れてしまった、奥方側のお姑様。………というのが、前章までのあらすじなのですが。(苦笑)
「はい、到着。」
いくら細身の君だとて、ルフィが担ぐなり肩を貸すなりするのは やはり、ちと荷が重かったので。こういうことこそ任せなさいの、剛腕自慢な旦那様が…正気だったなら絶対に双方ともに嫌がったろう、背中と膝下へ腕を回し、懐ろへ抱え上げての抱っこ、別名“お姫様抱っこ”にて。お二階の一番見晴らしのいい客間まで、運び上げてもらって、それから。
「上着と、それからシャツも、脱いだ方がいいよ。着替えはトランク? 用意しといた寝間着でもいい?」
前に来た時に置いてった、普段着のTシャツとかパジャマとかがあったから。大急ぎで洗って干して、用意しといたのvv え? 自分で着られる? じゃあ…そうそう、何か冷たい飲み物持って来るからね。
「だから。楽にして横になってて。」
心配するあまりのワタワタ、少々舞い上がってるルフィなのへと。こちらさんもまた、気を遣わなくてもいいからの一言さえ出ないとは。
“こりゃ、相当に疲れたってか?”
顔を合わせた途端というノリにて喧嘩腰になるのは、他でもないルフィへの負担にもなるのだからという心構えがあったので。揮発的になる素地が日頃より低かったことも幸いし。こっちの手出しを振り払わない相手であるのを良いことに、のろのろとジャケットを脱ぐのを受け取り、ひょいっと抱えてやってベッドへ横たえてやり…と。娘婿様、黙々と力仕事をこなしており、
「落ち着いたらで良いから着替えな。」
さっきルフィが言っていた木綿のパジャマ一式、広いベッドの余った余白へと置いてやる。
「………。」
目映いほどではないながら、それでも明るい室内の、純白のシーツやカバーの狭間へ埋もれているせいだろか。色白なお顔はやはり、蝋細工の人形のそれを思わせるような、生気の薄い頼りなさ。それでも…病みやつれてまではいない、ただちょっと疲れて萎えているだけだろなと。柄じゃあなさそうに思われがちだが、実は実は。学生時代に嗜んでいた剣道では、後輩の指導も受け持っていたがため、他者の体調を慮ることへも慣れのあるゾロだったので、そこまで何とか察知も出来て。それから…付け足されたのが、
「俺には、仮病なんてもの、縁がなかったからなかなか見破れないんだが。」
いきなりのお言葉が、半信半疑であれ 疑ってる気持ちの方が強くないと普通は出ないお言いようだったので。これへはさすがに、
「…っ。」
むっと来て反駁したくなり、身を起こしかかったサンジだったものの、
「そうであろうがなかろうが、とっととしゃんとしな。」
睨みつけてやろうと見上げた相手の表情と眼差しは…意外なくらいに穏やかで。挑発しようとしてのいつもの売り言葉ではなかったらしいということが、も一つ続いた“付け足し”を聞いてやっと判った。そんな不器用な言い回しこそが、この彼の彼らしさの発露ということか。
「ルフィはお前の様子が気になってしょうがないらしい。何をやっても上の空になるほどにな。」
気がついてたか? 車のドアやこの家の玄関のドアの開け方も、咄嗟に記憶から出て来なくって。焦るあまりに取っ手やらノブやら がっしと掴んじまうほどに。今だって、ほら。この家の台所の位置をきっちり忘れたか、階下のフロアを端から端までパタパタ駆け回ってるほどに。そりゃあもうもう焦ってる。
「おろおろと心配させるために来たんじゃないなら、とっとと日頃の活力呼び戻して、しゃきっとするんだな。」
日頃の彼なら仏頂面で通すだろうに。小さくにんまり微笑って見せて、それから。こちらの襟元へ手を伸ばすと、緩めていただけだったネクタイを、すいっとなめらかに引き抜いて下さった。
「あ、ゾロ、ありがと。寝かしてくれたんだ。」
やっぱり焦ってる証しか、片手にはミネラルウォーターのペットボトル、もう片手には大降りのジョッキを鷲掴み。日射病相手の看護には間違っていないものの、何ともワイルドな様相にて戻って来たルフィであり。
「…じゃあ、俺は体を拭く洗面器とタオルでも持って来ようかな。」
「あ…。」
そうだよね、汗かいてるんだ、そうしたげなきゃね。そのまま再び階下へ向かおうとするの、長い腕で はっしと捕まえ、引き留めて。小さな肩を持ってのぐるりんこ。この部屋の先にも洗面所はあろうがと、廊下の先を見なさいと促しながら短く言ってやって。あわわっと再び飛び上がりかかる小さな奥方へ、
「お前は駆け回らなくても良いから…傍にいてやれ。」
まずは落ち着きなさいと。どうどうどう、宥めて差し上げ、お部屋へ入れと方向まで決めて差し上げる周到さ。力任せだったところだけは、ちょいとばかり乱暴かもだったが、それでも十分な気遣いのこもった対処でもあって。
「えと…はい。////////」
やっとのこと、ルフィの恐慌状態へもブレーキがかかったらしく。勇んでた肩が下りての大きな深呼吸。それから、室内からの視線に気づいたか、えへへぇと笑うと、立ち去ったゾロと入れ替わるみたいに てことこベッドの間際へまでやって来て、
「ごめんね。却って落ち着けなくしてた?」
言い訳をしながら、ちょこっと通り過ぎて窓辺まで。そこへ置かれてあったスツールを手に戻って来ると、身を起こしかかったままで固まってたサンジの肩へと小さな手を置く。ちゃんと横になって、ということだろう。促されるまま、身を伏せ直すお兄さんを前に、
「ゾロっていつだって落ち着いてるから。」
俺だけだったらどうしてたかって思うよなこと、ホントにいっぱいあって…と。ごにょごにょ続けるルフィの頬が、じわじわ赤くならなくたって、これは…遠回しの惚気に違いなく。いつもの調子のサンジであったなら、ここでしっかり むかむか来ていたところだが。
「………そうだな。」
今時の若い人には珍しくも、頑迷なくらい誠実で不器用な男だってのを、サンジもよくよく知っている。社会人でなくたって…子供だって今時はもうちっとは要領がいいだろうと思うほど、ともすれば呆れるほどに、こつこつと段階を踏み、一から自分で道をつけ、筋を通し、進んでく男であり。義理とかコネとか 便利なあれこれ、利用することを嫌っている訳ではなく、
『本人に言わせれば“誰の顔をどこまで立てるのかとか、いちいち覚えておれないのでいっそ面倒”なんだって』
よって、過ぎるほどに慎重な訳ではなく、自分へは大雑把で仕事外では結構ずぼらだし。時に大胆にも斬新なことを思いつきもするそうだが、無茶を通したしわ寄せは全部自分が背負うという、やっぱり不器用極まりない男だったりするってこと、ルフィから惚気半分に聞かずとも、彼の周辺をちょこっとでも探れば、関係者の口からいくらでも逸話が出てくるほどであり。
“一体いつの時代のサラリーマンだか。”
ずぼら者なくせに、無神経なくせに、なのに…誠実で人望があって、誰からだって頼りにされてる。繊細とかマメとかいう柄ではないから、その分、骨惜しみをしない行動派で、自分が楽をしたくての屁理屈を捏ねない。
“…そういう男だってのは重々判ってた。”
気の利いたことには一切無縁。でも、だからこそ、見たそのままに堅実で。今時には滅多にないほど、頼もしくって申し分のない男だから。もしも誰ぞをルフィの傍に置きたいと思ったならば、やはりそんな資質の者をと構えたろう自分だったかもと、このサンジさんまでが感じたくらい。
“相も変わらず、俺とは正反対だってのにな。”
だから尚のこと癪なのかもなと、小さくついた溜息一つ。それから…零れてやまない苦笑への対処をこそ、どうしたもんかと苦慮してしまう。
「サンジ?」
柔らかな夏掛けを口元まで引っ張り上げた彼だったのへ、どうしたの?とさっそく不審がられてしまったお母様。何でもないよと、それこそ心配させまいという笑顔を向けてやり、
「…それよか、あのな?」
俺が改札前で向かい合ってたご兄弟は、もしかしてゾロの親戚か何かなのか?と。強引な旅程にも、日本の蒸し暑さにもぎりぎり何とか堪こらえられてた自分の耐久性を、ほんの一時のご対面のみにて大いにぐらつかせて混乱させて下さった大元のこと、今やっと訊くに至れたお兄様。
「え? ろろのあさんのコト?」
「苗字も一緒なのか、じゃあやっぱり親戚か?」
「ん〜ん、違うよ? それは単なる偶然。」
名前知らなかったのに、何で親戚かもなんて思ったの? いや、だって…そっくりだったし。え〜? そっかなぁ。同じくらいの年だってだけで、背格好も…似てるけど、ウチのゾロの方が渋くて大人だようvv …そうか?
このままだと何だか不毛な惚気のオンパレードを聞かされそうだと、気づけなかったあたりが、まだちょっと本調子じゃあないらしいお兄様。それでも…久し振りの可愛らしいお喋りに、やっと何とか人心地つけたようではあったみたいでございます。
『でもね、サンジってサ。』
いくら気に食わない相手でも、それじゃあと仕事上の伝手を行使しての意地悪や嫌がらせなんてもの、絶対に手掛けない人でもあって。
『そんなことをしたら却って男を下げるだけでしょう? ですって。』
ナミさんへそんな風に言ってたんだってと。向こうの奥様からそんなご報告を受けたらしいルフィが、ゾロへと話しつつ“かーわいいvv”とばかり微笑ってたりし。不器用さではどちらもいい勝負かもと、双方の奥様たちから把握されていることを、はてさてご存じでらっしゃるのかどうか。(苦笑)
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*なんだかやっぱり、虫が好かない相手ではあるけれど、
問答無用で排除したくなる“悪”への“嫌悪”じゃないから困ったもので。
ルフィのすぐ傍らというポジションにいるから不愉快なんであり、
それが誰であろうと同じ反発を抱えただろうってことにまでは…
まだ気づいてはいないサンジさんなのかなぁ?(苦笑)
とりあえず、ややこしい夏休みは もちょっと続きますvv |